
◆第7話「殿猫の警告」
ハルと思いが通じ合った翌日。
陽介は、どこか足取り軽く、角牟礼城跡の山道を登っていた。
冷たい初冬の風が木々を揺らしていたが、陽介の胸の奥には、ハルが淹れてくれたほうじ茶のような温かな熱が確かに灯り続けていた。
『私でよければ、喜んで』――彼女の涙まじりの笑顔を思い出すだけで、自然と口角が緩んでしまう。
カフェの内装作りも、彼女という明確な「パートナー」の存在を得たことで、これまで以上に捗りそうだった。
(……あいつに、報告でもしてやろうかな)
ふと、計画に躓いて、自分が一人で息を詰まらせていた時に出会った、あのキジトラの猫のことを思い出した。
自分より大きなボス猫にボロボロに負けても、全く怯むことなく「いずれここを統べる」という威厳を放っていた、あの『殿猫』。今の陽介なら、あの時より少しはマシな顔で、あいつの前に立てる気がしたのだ。

息を切らして本丸跡の広場にたどり着くと、色褪せた苔が生す石垣の上に、見覚えのあるキジトラの姿があった。
驚いたことに、その両脇には、一回り体の大きな黒猫と茶トラの二匹が、まるで護衛の武将のように控えている。
「……おいおい、本当に手駒を集めてやがったのか」
陽介は呆れ半分、感心半分で声をかけた。
殿猫は陽介の姿を認めると、短い尻尾をパタンと一度だけ打ち鳴らし、静かに見下ろしてきた。その眼光の鋭さと、王者のような佇まいは健在だった。
「お前のおかげで、少しは前に進めた気がするよ。……一緒に店をやるパートナーも、見つかったしな」
陽介は照れ隠しのように石垣の根元に腰を下ろし、独り言のようにポツリとこぼした。ハルのこと、カフェのこと、そして自分が少しずつこの町に根を下ろし始めていること。猫相手に話すのは少し滑稽だと思いながらも、なぜかこの殿猫には、不思議と素直に話を聞いてもらえる気がしたのだ。
「……ハルっていうんだ。不思議な人でさ。大正時代から抜け出してきたみたいに古風で、でも、笑うとすごく可愛くて――」
陽介がそこまで言いかけた時だった。
「……あの子は、まだここに留まっていたのか」
不意に、地を這うような、重厚で深みのある、威厳に満ちた男の声が、静寂の森に響き渡った。
陽介は弾かれたように顔を上げた。
周囲には誰もいない。声の主は間違いなく、目の前の石垣の上に鎮座するキジトラ――殿猫だった。
「えっ……? 今、喋った……?」
混乱する陽介をよそに、殿猫は両脇の武将猫を顎で下がらせると、ゆっくりと石垣の縁まで歩み寄ってきた。その瞳の奥には、単なる獣を超越した、果てしなく長い時間を生きてきた者特有の、深い知性と憂いが宿っていた。
「我は、かつてこの角牟礼城を治めし森氏の魂の成れの果て。山の神の気まぐれか、こうして再びこの地を統べるため、毛皮を纏って戻ってきたに過ぎん」
殿猫は静かに、しかし有無を言わさぬ威厳で語り出した。
「それよりも、小僧。貴様、あの娘と関わるのはやめておけ」
「やめておけって……どういう意味だ?」
突然のファンタジーな展開に頭が追いつかないながらも、ハルのことを否定された陽介は、反射的に語気を強めた。

しかし、殿猫の次の言葉は、陽介の反発を氷のように凍りつかせた。
「あれは、貴様らと同じ時間を生きる者ではない。……あれは、深入りすればするほど、貴様にも、そして何より『あの子自身』にも、取り返しのつかない不幸を招くぞ」
「不幸……?」
「……己の存在を賭してでも、人に焦がれるか。愚かな魂よ」
殿猫はそれ以上は何も語らず、哀れむような一瞥を陽介に投げかけると、二匹の家臣を引き連れて、音もなく茂みの奥へと姿を消した。
冷たい初冬の風が吹き抜け、枯れ葉がカラカラと音を立てて転がっていく。
陽介は一人、石垣の前に立ち尽くしていた。
ハルと心が通じ合ったばかりの温かい幸福感に、得体の知れない冷たい影が、ひたひたと忍び寄っていた。
【次回予告】
チャリン。冬のアスファルトに響く硬貨の音。
拾おうと伸ばした手は、何かに遮られるように、向こう側の景色を透かしていた。
次回、第8話「命の素(こはく)と掟」。
