
◆第2話「石垣の上の君主」
車を走らせてたどり着いたのは「角牟礼城(つのむれじょう)跡」だった。この地域で栄えた山城の跡地。今はもう建物はなく、静かな森の中に当時の土塁や苔むした石垣の一部がひっそりと残っているだけだ。
車を降り、険しい山道を登りきる。頂上に辿り着いた時、陽介は崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。
「ニギャーッ!」「シャーッ!!」

不意に、静寂を破るけたたましい声が響いた。
目を向けると、少し離れた石垣の陰で二匹の猫が取っ組み合っている。一匹は恰幅のいいボス猫風。もう一匹は、体格で明らかに劣るキジトラだ。キジトラも機敏に身を躱し応戦しているが、力押しでジリジリと追い詰められていく。
(……うるさいな)
陽介は短く息を吐き、足を踏み出した。普段なら自然の摂理だと通り過ぎるだろう。だが、行き場のない苛立ちを抱えていた今の彼には、目の前で無様に痛めつけられている姿をただ眺めている気になれなかった。
足元にあった枯れ枝を拾い上げ、地面の土を強く叩く。
乾いた破裂音と人間の気配に驚いた大柄な猫は、舌打ちをするように身を翻し、茂みの奥へと消えていった。
「……弱いなら、一人で無茶な喧嘩なんかするなよ」
あとに残された泥だらけのキジトラを見下ろし、呆れたように声をかける。
しかし、次の瞬間、陽介は言葉を失った。怯えて逃げ出すかと思いきや、そのキジトラはゆっくりと姿勢を正し、泥だらけの顔で陽介を真っ直ぐに見据え返してきたのだ。
そこに、力負けした惨めさは微塵もなかった。
ただ己の現在地を受け入れ、次を見据えているかのような、奇妙なほど堂々たる佇まい。

その静かで力強い瞳に射すくめられ、陽介は手にした枝を思わず下ろした。
――それに引き換え、自分はどうだ。
何でも一人でできると意固地になり、誰の力も借りようとせず、完璧な城の模型の中で一人息を詰まらせている。
キジトラ――のちに彼が『殿猫』と呼ぶことになるその猫は、短く喉を鳴らすと、ふいっと顔を背けた。その視線の先には、ふもとに広がる玖珠の町並みがあった。
(一人で抱え込んでいる暇があるなら、誰かを頼ってみろ)
背中を叩かれたような気がした。
陽介はズボンの泥を払い、深く息を吸い込んだ。
「……そうだな。俺はこの町のことを、まだ何も知らない」
凝り固まった自分の物差しは、一度捨てよう。町の空気を知るために、誰かにこの町を案内してもらうのも悪くないかもしれない。
陽介は、ふもとの観光案内所へ向けてゆっくりと歩き出した。その後ろ姿を、石垣の上の殿猫が静かに見送っていた。
角牟礼城跡を下り、陽介が向かったのは駅に隣接した小さな観光案内所だった。
中に入ると、こぢんまりとした素朴な空間に、色あせた観光ポスターや手作りのパンフレットが並んでいる。カウンターの奥では、地元のスタッフらしき初老の男性が座っていた。
「すみません。この町を個人的に案内してくれる、ガイドのようなサービスはありますか?」
陽介の唐突な問いかけに、男性は目をパチクリとさせた。
「個人的なガイド、ですか? いやあ……週末なら旧機関庫のボランティアガイドがおるんですが、平日に付きっきりで町を案内するような専属のサービスは、ちょっとやってないですねえ。おすすめのスポットが書かれた地図ならありますけど」
困惑したような男性の返答に、陽介は自嘲気味に小さく息を吐いた。
(また一人で勝手に期待して、勝手にがっかりしているな……)
頭の中で完璧な段取りを組み上げ、その通りに事が運ぶと思い込んでしまうのは昔からの悪い癖だ。一人で前のめりになっていた分、思い通りにいかなかった時の落胆も人一倍大きくなる。自分の物差しで測るのをやめようと決めたばかりなのに、染みついた性分はなかなか抜けないようだ。
「……そうですよね。おかしなことを聞いてすみませ――」
【次回予告】
「よろしければ、私がご案内いたしましょうか」
ふいに響いた、鈴を転がすような声。振り返った陽介の目に映ったのは、大正時代から迷い込んできたような、透き通る瞳の女性だった。
次回、第3話「琥珀色の案内人」。

おまけ NGシーン
